突然の直希からの連絡に、山下の息子、祐也は驚きを隠せなかった。
しかし今の状況と、山下が祐太郎の墓参りを望んでいるとの言葉に、電話口で声を震わせた。 何度も直希に感謝の言葉を伝え、次の日曜、早速伺いますと答えたのだった。* * *
「山下さん、大丈夫……ですよね」
おやつの時間が終わり、直希たちがテーブルを囲んで休憩していた。
「あおいちゃん、そんなに心配しないで。大丈夫、今回の墓参りは山下さんの希望だから」
「でも、その……直希さん、私知りませんでした」
「ごめんね、菜乃花ちゃん。俺が情報を、ノートに書いてなかったから」
「あ、いえ……直希さんを責めてる訳では」
「いいのよ菜乃花。こんな大事なこと、書くのを忘れてましたで済ましちゃいけないの。遠慮せずに、しっかり責めてあげなさい」
「いえ、そんなこと……」
* * *
裕福な家に生まれながら、祐太郎と出会い、家を捨てて駆け落ちした山下。
彼女は祐太郎のことを、心から愛していた。 特別何か取柄のある男でもなかったが、山下を大切にしたいという思いだけは強く、いつも笑顔で山下のことを包み込んでくれた。 箱入り娘で、何ひとつ不自由なく暮らしていた山下にとって、祐太郎との生活は不自由なことだらけだった。欲しい物も買えず、祐太郎の少ない収入に毎月頭を悩ませていたが、それでも彼女は幸せだった。 実家にいれば、しなくてもよかった苦労の数々。しかし山下は、祐太郎との生活を心から楽しんでいた。 孫が産まれ、世間的に高齢者と呼ばれる年齢になっても、二人は仲睦まじく、幸せな日々を送っていた。しかしある日、突然祐太郎が倒れた。大腸癌だった。病院に運ばれた時には既に手遅れの状態で、余命数か月との宣告を受けたのだった。
突然の余命宣告。山下はその事実を受け入れることが出来「しっかし……中学生はないわよね」 夕食の準備をする菜乃花に向かい、つぐみが微笑む。「菜乃花は可愛いし、若く見えても仕方ないとは思うけど」「つぐみさん。それって私が幼いってことですか」「いえいえ、そういう意味じゃないからね」「本当、失礼な人ですよ、兼太くんってば」「あははっ……」 怒ってる顔も可愛いな、そう思いながらつぐみが苦笑した。「でもね、菜乃花。今はそう思うかもしれないけど、もうちょっとしたら、今度は逆のことを思うようになるのよ」「どういうことですか?」「実際の年齢より、若く見られたいって思うようになるってこと」「そういうものでしょうか」「まあ、私の場合は昔から、実際より年上に見られてたからね。特にそう思うんだろうけど」「つぐみさんは、その……しっかりされてるから」「……ごめん菜乃花。それって何のフォローにもなってないから」「ええっ? ご、ごめんなさい」「別にいいんだけどね、もう慣れちゃったし。でも……それにしても中学生はないわ、やっぱり」「全く……話をしてて、ずっと違和感があったんですよ。大体兼太くん、私より年下なんですよ? せめて同級生ぐらいだったら、私もこんなに怒らなかったのに」「あはははっ……でもほら、もうすぐ兼太くんも来るんだから、いつまでもそんな顔しないの」「……分かってますよ、そんなの……」「二人共お疲れ様。いい匂いだね」 節子の入浴を済ませた直希が、食堂に現れた。「あ……直希さん、お疲れ様です」「直希、お疲れ。節子さんも、さっぱりしてよかったですね」 相変わら
「やってしまった……初手でいきなり、やってしまった……」 生田の部屋。 アプリに-5点を入れ、兼太が頭を抱えていた。 そんな孫の様子に苦笑しながら、生田が声をかける。「確かに菜乃花くんは、少し幼く見えるのかもしれないが……それにしても中学生は酷すぎたな、兼太」「じいちゃん、追い打ちかけないでくれるかな」「ははっ。だが、いきなりお前が来たものだからな、かなり驚いたぞ。今日は学校、休みだったのか」「ああ、うん。今試験休みだから」「そうか……試験はどうだったんだ。手応え、あったのか」「あったと思う……さっきの菜乃花ちゃんとのやり取りに比べれば、それはもう遥かに」「そ、そうなのか……それで、せっかくの休みだと言うのに、どうしてあおい荘に……あ、いや……聞くまでもないか」「いやいやじいちゃん、誤解してるから。じいちゃんのところに来たかったのは本当だから」「そうなのか?」「うん……そうだ、さっきのがあったからすっかり忘れてたよ。じいちゃん、この前はその……母ちゃんが変なこと言って、本当にごめん」「なんだお前、まだ気にしてたのか。あの時にも言ったはずだぞ。お前が謝ることなんてないんだ」「でも、その……俺のせいでもあるんだよ」「どういうことだ?」「俺が母ちゃんに言ったんだよ。いつまでじいちゃんを放っておくつもりなんだって」「……」「家族は大切だって、母ちゃんいつも俺に言ってた。実際母ちゃん、身内に対しての愛情はすごく持ってる。でも……それなのに母ちゃん、じいちゃんに対してだけはそうじゃなかった。ばあち
「それでその、他の方たちは」「一人は生田さんの見守りで、お風呂場にいます。覚えてませんか、あおいさんって言うんですけど」「あおいさん……ああ、覚えてます。風見さん、ですよね。あの時じいちゃんに、自分のことも名前で呼んでほしいって言ってた、ちょっと面白い話し方の」「面白いって、ふふっ……そうですね。あおいさんの口調、ちょっと面白いですよね」「ああでも、馬鹿にしてる訳じゃないんです。何て言うか、あのお姉さんにぴったりの話し方だなって思って」「そうですね。あおいさんって言ったらあの話し方、ですよね。ふふっ……あと、直希さんとつぐみさんは、ご存知でしたよね」「はい。お二人とは、初めて来た時に挨拶させてもらってます」「二人は入居者さんの付き添いで、病院に行ってるんです」「病院って、何かあったのですか」「あ、いえ、そういう訳ではなくて……新しく入ってこられた入居者さんなんですけど、最近調子がよくなってきましたので、確認の意味で検査に」「そうだったんですね、よかった」「それでその、兼太さんはこんな時期にどうして? 今日は金曜ですし、学校もまだ」「うちの学校、試験休みなんです」「え? まだ11月なのに」「はい。うちは進学校なので、普通の学校とはスケジュールが違ってて。今月いっぱいが休みで、12月からはまた授業が始まるんです」「私のところは二週間先です。それが終わったら、試験休みと合わせてそのまま冬休みで」「普通はそうですよね」「試験休みの後で、まだ一か月授業なんて。大変ですね」「いえ、俺にとってはそれが普通なので。それにどうせ家にいても勉強してますし、そんなに変わらなくて」「兼太さんは、その……進学先は、もう」「はい。医者になることを目指してますので、国立の医学部に」「お医者さんで
あおい荘の門をくぐった少年は、花壇の前で足を止めた。 穏やかな笑みを浮かべ、今日の点数2点追加だ、そう思いスマホのアプリに加点する。「こんにちは! 失礼します!」 玄関に立った彼。 生田兼嗣の孫、兼太は元気いっぱいに声を上げた。 * * *「おじいちゃんの家に泊まる?」 夕食の済んだ生田家。兼太の言葉に、父の兼吾が意外な顔をした。「うん。俺、母ちゃんとの約束守って、期末試験も頑張った。手応えもあったし、これなら多分、学年10位以内は大丈夫だと思う」「そうか。お前、頑張ってたからな……しかしなるほど、そういうことだったのか」「あれから俺、じいちゃんの家に行きたくて、何度も母ちゃんに頼んでたんだ。でも母ちゃん、受験生がそんなことでどうするんだって、聞いてもくれなかった。でも俺、どうしてもじいちゃんに会いたいんだ。だから父ちゃん、駄目かな」「いや……いいんじゃないか」「よしっ!」 兼太が拳を握り、嬉しそうに声を上げる。「ちょっとあなた、勝手に話を進めないでもらえます? 兼太、私は反対ですよ。試験が終わったぐらいで浮かれてどうするの。受験まで気を抜いてる暇なんてないんですからね。そんな覚悟で受かるほど、あなたの志望校は楽じゃないのよ」「俺のって言うか、母ちゃんの志望校だろ」「まあまあ、兼太も仁美も落ち着きなさい。兼太、母さんの言うこと、分かってくれるよな。母さんはお前の為、あえて嫌われ役になってくれてるんだ」「……分かってるよ。俺だって子供じゃないんだから」「仁美、お前もだぞ。考えてもみなさい。兼太がお前の言葉をないがしろにしてることなんて、今まであったか? こいつはこいつなりに考えて、お前の言いつけを守ってる。だから……たまにはこいつの言うことも、聞いてやってくれないか」「でも……
クリスマスの飾り付けの準備をしながら、つぐみは先日のミーティングを思い出していた。 節子や山下の一件を通じて、つぐみはあおいと菜乃花の成長を強く感じていた。二人共、何度も何度も心が折れそうになったことだろう。彼女たちを励ましていた自分でさえ、袋小路に迷い込んだような気になり、挫けそうになった。だが彼女たちは、そんな自分の言葉に奮起し、立ち上がってきた。 介護に正解はない。 なぜなのか。対象となる相手によって、対応が違うからだ。 介護職の対象は、あくまでも人間。機械が相手なら、マニュアルを作りそれに沿って作業すればいい。だが人となると、そうはいかない。 この人が成功したからといって、別の人にも通用するとは限らない。そういう意味では自分もまた、あおいたちと同じく、試行錯誤を繰り返すしかなかったのだ。違う点があるとすれば、彼女たちよりも経験が長く、それなりに対応策を心得ているということぐらいだった。 それでも自分も人間、心が折れそうになる時もある。 しかしそういう時、つぐみの前には必ず直希がいた。 直希も自分と同じ、無力な人間だ。だが直希はそんな中でも、いつも希望を捨てず、自分の理想に向かって走り続けている。 手が届かないところにまで、直希が行ってしまわないように。そう思い、つぐみは歯を食いしばって直希の後を追い続けた。 ――直希がいたからこそ、今の自分もあるんだ。 そう思った時、再びつぐみの脳裏に、あおいを愛おしそうに見つめ、抱きしめている直希の姿が蘇った。「はぁ……」 大きなため息をつき、つぐみが手を止めた。 あおいは本当に強くなった。元々楽天的で明るく、物事を諦めない芯の強い子だと思っていた。 しかし彼女は、絶望的な状況からも逃げることなく、そして節子の信頼を勝ち取った。 今回の件は、あおいの尽力がなければ、とてもじゃないが解決出来たとは思えなかった。 その原動力は何なのか。 そこまで考えて、つぐみは自虐的な笑みを浮かべた。 決まってい
「その為に、あおい荘のような施設が必要なの。一昔前なら、自分の親を施設に預けるなんて、とんだ親不孝者だ、なんて言う人も多かった。でもこれだけ高齢化が進んで、認知症の患者が増えた今となっては、それを受け入れる社会にも限界が来てしまったの。核家族化も晩婚化も進んでいる。個人で背負うには、あまりにも負担が大きすぎるの」「それは分かりますです。ここに来た頃の節子さんを安藤さんが見るなんて、とても出来るとは思えませんです」「節子さんだけじゃないわよ。例えば、寝たきりになった人のお世話だってそう」「身体介護……ですか」「ええ。私たちは仕事で、決められた時間にだけ従事してたらいい。特養(特別養護老人ホーム)に行けばよく分かると思うけど、ああいった施設では、二時間から三時間おきに、オムツの交換があるの。あと、体位変換もね」「……」「家で家族の人が、自分の生活も維持しながら出来ると思う? それも一日二日じゃない、ずっとよ」「確かに……大変ですね」「勿論夜も。二時間おきに目を覚まして、オムツの交換をするの。食事の介助もしなくてはいけない」「……」「その繰り返しが延々と続く生活。家族の疲労とストレスは分かるわよね」「……はい」「だから私たちがいるの。そういう方たちのお世話をさせていただくことで、家族さんの負担を減らすことが出来る。そして家族さんたちは自分の生活を少しずつ立て直して、心と体に余裕を取り戻していける」「それが今の安藤さんなんだよ。あおいちゃん、菜乃花ちゃん」「あ……」「心に余裕が生まれると、笑顔も増える。今の安藤さんを見てると、分かるでしょ」「はい。よく分かりますです」「そして今、あれほど負担に思っていた母親に会いに来ることが、安藤さんの中で楽しみになっている。ある意味安藤さんと節子さんにとっての、新しい親子関